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岐阜城北、夏に日本一再挑戦だ

横浜に敗れた岐阜城北ナインは応援団へのあいさつを終え悔し涙を流す
横浜に敗れた岐阜城北ナインは応援団へのあいさつを終え悔し涙を流す

<センバツ高校野球:横浜12-4岐阜城北>◇3日◇甲子園◇準決勝

 岐阜城北の快進撃は準決勝でストップした。県勢47年ぶりに4強入りした勢いに乗って横浜(神奈川)に挑んだが、エース尾藤竜一(3年)が打ち込まれて序盤で勝負は決し、4-12で完敗した。県勢では1940年(昭15)岐阜商(現県岐阜商)以来66年ぶりの優勝は夢と消えた。ただ、初出場ながら2回戦では優勝候補の智弁和歌山を破るなど、たくましい戦いぶりで東海王者の力を全国にアピール。あと2勝まで迫った全国制覇には、この夏再挑戦する。

 勝負は早々と決した。「日本一」を目標に掲げた岐阜城北の挑戦はあと2勝のところで分厚い横浜の壁にはね返された。『3回TKO負け』。準々決勝まで防御率0・67の大黒柱尾藤が2死から「初めて」という7連打を浴び5失点で降板。同じ序盤3回で一挙6失点し5点差をつけられた智弁和歌山との2回戦でもなかったエース降板。ここがタオルの投入機だった。

 続く2投手は2人でアウト2つしか取れず計6失点。甲子園でなければ5回コールド負けだった。藤田明宏監督(38)は「尾藤の状態が完全じゃなかった。うちがベストの状態でなかったのは悔やまれる」と言った。3戦30Kの快投で限界を超えていた尾藤。同時にここが、いまの城北の限界だった。

 悔やまれるのは3回の守り。2死走者なしから、右翼線への当たりを宮木則彰右翼手(3年)がダイブ。このチャレンジの代償が大き過ぎた。捕球できず打球がフェンスまで転々とする間に打者走者がランニング本塁打で生還。「飛ばなかったら絶対に取れなかった。後悔はないです」と宮木。積極果敢な判断は責められないが、自重する勇気があっても良かった。

 この試合は、甲子園では異例と表現していいほどストライクゾーンが狭かった。本調子にない尾藤に、この条件下で準々決勝までの快投を求めるのが酷だったのも事実。ただそれを考慮しても準決勝という大舞台では、横浜との力の差は歴然としていた。頂点へ、やるべき事が見つかった。

 試合終了のサイレンとともに、初陣岐阜城北に注がれた温かい拍手は期待の裏返し。ごく普通の県立校が初出場で全国4強まで歴史あるトーナメントをよじ登った。県勢の歴史にも名を刻んだ。大敗でその価値が変わることはない。藤田監督は「胸を張って帰りたい。4試合の収穫はたくさんある。肌で感じた体験を持ち帰ってやり直したい」と再挑戦を誓った。

 センバツ出場決定時、監督はじめ選手が「日本一」と目標を述べた時に浮かんだ「?」マークはもう消え去った。堂々と重い3文字を公言できる位置にいる。夏は忘れ物を取りに行く。持って帰るのは深紅の大優勝旗しかない。【八反誠】

[2006年4月4日9時50分 紙面から]


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