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2006年中日優勝特集


落合監督泣いた、舞った、歓喜V

リーグVを決め落合監督が宙に舞う(撮影・柴田隆二)
リーグVを決め落合監督が宙に舞う(撮影・柴田隆二)

<中日9-3巨人>◇10日◇東京ドーム

 グラウンドで胴上げを待つ選手のもとへ。ベンチを出た落合監督はいつものようにゆっくり歩き、淡々とした表情をつくった。だが1歩、1歩、進むたびに目がうるんだ。泣きじゃくったまま1度、2度、3度…。涙とともに4度も宙を舞った。

 延長12回、涙腺は限界に達した。福留の決勝適時打の後、ウッズが優勝を確信させる満塁弾。戻ってきた4番と抱き合うと涙があふれた。喜怒哀楽を封印し、いつも選手に冷静な表情を見せてきたオレ流指揮官がベンチで泣いた。いつもの自分を取り戻そうと白いタオルで何度も、涙をぬぐった。

 「すいません…。涙もろいもので…。キャンプから3年間苦しい練習させてきて何があっても優勝しなきゃいけない。させなきゃいけない気持ちがあって…。ぐっときました。長かったです。順調に戦っては来たんですが阪神の追い込みというのは…。球史に残る戦いだったと思います」

 優勝監督インタビューでも言葉にならず、声はかすれていた。8月のマジック「40」点灯から2カ月間、阪神の猛追に苦しみ、最後の最後で巨人の意地に苦しんだ。就任1年目で優勝した04年も泣いたが、今回は苦しんだ分だけ涙が止まらなかった。

 一匹狼だった現役時代同様、監督になってもオレ流は不変だった。マスコミへの説明より選手への配慮を優先。後援会はなし。世間を味方につけるようなパフォーマンスもなし。批判も、誤解も、お構いなしで勝利を追及してきた。

 「野球はだれのためにやる? 自分のためだろう?ファンのため、だれかのためと言う人がいるけど、それはみんなウソだ。オレはだれに好かれようとか思わないから建前は言わない。建前を言うのは政治家に任せておけばいい。でも正直なやつは嫌われるんだ。まあオレを嫌いだと言うやつがいても、そいつをオレは知らない。放っておいてくれだ! ハハハッ…」

 開き直れる裏には家族の存在があった。まだ無名のロッテ時代、東京・高円寺の選手寮から当時交際していた信子夫人の家に通った。ある日、どこか無欲なスラッガーに信子夫人が言った。「何か信じるものを持ちなさい。今持っているお守りとか、全部ここに出して!」。ベランダに出て2人でそれを燃やした。代わりに渡されたのが銀の円柱型ケースに入ったお守り。以来、それに願いをかけては実現させてきた。3度の三冠王も、巨人での日本一も、いつもお守りがそばにあった。

 それから26年。今年9月20日の横浜戦(横浜)だ。お守りがかばんごと盗難にあった。深夜、信子夫人と東京の自宅へ戻る約40分間の車中、ほとんど口を開かなかった。ただ1つすがっていたものを失った。「あれさえ戻ってくれば…」。

 ショックを引きずったまま翌日の夕方、信子夫人、長男福嗣さんと映画館に出かけた。帰り際、家族で初めてプリクラを撮ることになった。ふざけたポーズで笑う2人。こんな時いつも父はうまく笑えない。見かねた息子がいった。「じゃあ、父ちゃん。優勝って書きなよ!」。

 「嫌われたっていい」という言葉の裏には、感情表現が下手で、野球でしか自分を出せない職人の素顔がある。それを理解してくれるのはやはり家族だった。阪神が猛追してきていた。すがるものもない。父は数々の不安を振り払うようにペンを持った。

 その翌日からこの日まで代わりのお守りは持たなかった。新しいものをくれるという申し出も断った。なぜなら東京都・世田谷の自宅リビングには「優勝 ヤッター! 優勝」と書かれたプリクラがあったからだ。この日もネット裏には父と一緒に涙する2人の姿があった。指揮官は家族という最高の“お守り”を胸に戦い抜いた。【鈴木忠平】

[2006年10月11日9時50分 紙面から]

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